宮沢賢治は、大正時代の作家としては、今も多くの愛好者を有する不思議な作家である。詩人としての顔も持つが、基本的には彼の創作した童話の魅力に起因すると思われる。
「雨にもマケズ」で表現された、受難に際して「オロオロし、デクノボウ」たろうとした作者の精神性。弱者の哀しみを見つめ、そこに寄り添う視点が感じられる「よだかの星」等の作品群。「銀河鉄道の夜」で描写される、広がる宇宙の寂寥感と死のイメージ。「風の又三郎」で表される自然との共生感。動物や昆虫の視線から描かれる巧みな自然描写等、読者を魅了する多彩な感性のルーツはどこにあるのか,とらえきれない広さを持つ作家である。
科学への興味、法華経、家族、地域性、貧しい農民への共感等がこれまで語られてきたが、最近高校時代の同級生保坂嘉内の存在に焦点を当てたNHKの番組に、欠けていたピースを見出した気がした。
保坂は、貧しい農業を改革したいとの理想を持ち、同時に貧しい農民を描いたロシア文学を愛好する文学青年であった。秀でた感性で、夜空を進む夜汽車、説話としての風の又三郎、歩く電柱等の後に賢治の作品で結実するイメージの初期形態やインスピレーションを賢治に与えている。
賢治の生涯を見ると、社会を生きる実務的な能力の欠如を何とか補完すべく、自らを修羅と表現し、日蓮宗の国柱会に属し、羅須地人協会を設立したりしたものの、組織的、社会的な役割は殆ど果たせていない。この能力の不足を保坂との協働で対処したいとの思いがあったと思われる。国柱会に熱心に保坂を勧誘したものの、この誘い方にはやや常軌を逸したものが感じられる。賢治の文章には、性的なものへの憧れは一切と言っていいほど感じられず、むしろ「ほんたうの」魂の交流をこの男友に求めていた雰囲気がある。保坂は多分その異常な気配を感じて、この誘いを断り、友情も終わる。その後の地人協会は文化サークル的な活動に見える。
賢治のもとめていた「ほんたう」の救済は社会的不平等の解消のみではなく、精神的な包容力を含んだ社会のありかたでもあったのだろう。自分の魂の求めているものは、現実の宗教や社会主義活動では自己の中では解消されなかった為か、作品には直接的な宗教色、社会主義色は感じられない。彼の中で浄化された作品は、実社会を舞台とした小説では得られない純粋な魂が結晶化した世界を感じさせる。